タイタニック観劇2回目―2
船長については、ボーイに自分の勲章を与える場面まで
矜持というか、威厳みたいなものが感じられなかった。
見た目は立派な容貌で、威風堂々の船長さんだけど。
どうして、ああ、易々とスピードを上げることを決断出来るのか?
あるいは自身、勇退と共にレコードを作りたい気持ちもあった?
イズメイの要望が抗い難いものであるという葛藤が
まったく見えてこないし、「言いなり」な感じ。
もし自身、新記録への野心が僅かにあったとしても
(或いは個人的な野心はなくとも、常連の“上”客や船主の期待に
応えようとした、彼なりのある種の職務へのロイヤリティだったとしても)
常に俯瞰して物事を判断すべき、
この船と人々の命の全責任を預かる人物としては、
ずいぶん矮小化されてしまっている・・・
バレットやマードックの方が、さまざまな要因を考慮し
速度を上げすぎることの危険を懸念しているように見える。
イズメイもねぇ(~_~;)
意地悪な人という先入観を取り払って、という演出家の示唆が
あったようだけれど、先入観なく、目前の舞台を観ていても
彼の人格の良いところが見出せない・・・
役としての愛嬌やユーモアもないしね~。
常におのれの我を通す男、としか見えない。
たとえばレッド・バトラーのような男だったら?
シニカルな物言いもし、慇懃無礼で自信家の態度も見せるけれど
十分愛嬌も持ち合わせていて、いざとなれば婦人を助ける。
史実ではイズメイは、船内にはまだ多くの女性が残っていたことを後で知り
激しい後悔に苛まれた(とパンフに書いてある)そうだけど、
目の前のイズメイは、カルパチア号に救助されたその最後の場面でも
「自分が救命ボートに乗ってはいけない理由があっただろうか?」
みたいな科白言ってるし。一瞬たりとも自省とか他人への思いやりを
見せることはなかった。
そして、アンドリュー。
不明(ーー;)・・・
彼のポジションがよく理解出来ません。(私には)
何故、一番の主役の扱いに置かれているのかも。
(松岡君が、ということでなく、この“役”がね)
狂言廻しに相当する出方でもないし。
実際、芝居が動いていく感じがするのも
冒頭の彼の『いつの時代にも』ではなく
バレットの『偉大なるタイタニック』からに思えるし。
映画でもラブロマンスの方ではなく、
航海士たちの(楽師の!)職責の果たし方や
人間性の部分にとても感動したから、船長、設計士、船主といった
この船に対して、この処女航海に対して
重い責任を負っているはずの彼らがこのような在りようなのがとても残念。
『誰のせいだ』ってまさしく責任の擦り合い・・・
君らのせいだよっっ~~!!
あるいは、人間はその地位の上下とはまったく無関係に
このように愚かでもあり弱いものなのだ、
という事をあえて見せているの?
下層の者の方が、ある時は勇敢で紳士的な行いをすることの対比で?
もし「伝説(記録)」を作ることを、彼らたちの共通の
前向きで純粋に明るい“希望”のように描かれていたら
それが叶わなかったことに、同情の涙を注いだかもしれないけれど
彼らの想いは希望というより野心に見えてしまって
(ゴッドスピードタイタニックの曲の時は“明るい希望”の
方に見える/聴こえるけれどね~)
それに巻き込まれた乗客や若い船員たちが哀れで仕方ない。
マードックも、これは、史実でも映画でも、混乱の中でも
的確な指示を与え、最後の最後まで乗客誘導、
一人でも多くの命を救う作業に全力を傾けた人なのに
この舞台では、そういった人物像以上に
どこか自己完結してしまっている人のように見える。
でも、最も苦悩してる人のようではある。
いよいよ船が沈まんとする時に
船長はまだ無線を打ち続ける通信士たちに
>「諸君たちを職務から解放する。自分の身を守りなさい。
>皆、自分自身の為に行動しなさい。」と告げた。
>その時、ブライドは、
>船長が救命胴衣をまだ身につけていない事に気づいた―
その一文だけでも、胸が熱くなるほどの
船長への敬意が生まれてくるけれど、
舞台上に、それに相当するものがあっただろうか?
(ちなみに、通信士たちも、職責からの解放の指示を出されたあとも
無線を打ち続けていたそう。海水がなだれこんできたその時まで)
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