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2006年5月 6日 (土)

日生劇場レ・ミゼラブル千秋楽!!(4)

4月25日(火) マチネ

ジャン・バルジャン:別所哲也
ジャベール:岡幸二郎
エポニーヌ :新妻聖子
ファンテーヌ:マルシア
コゼット:剱持たまき
マリウス:岡田浩暉
テナルディエ:駒田一
テナルディエの妻:森公美子
アンジョルラス:東山義久

いつまでもやっとり~!!>自分、という感じですが、終われないレミ!
記憶が錯綜してきて千秋楽の観劇記というより、
“MYレ・ミゼラブル”になりつつあるけど…

ベガーズ、その荒廃っぷりが、もう、ホントカッコよかったです。
荒みきった闇の底辺からの咆哮。
そして今日ラストの舞台への魂の叫び。泣ける(/_;)
駒田テナの、鋭い一瞥をくれながらの登場で
彼らの生息する世界がどのような場所であるかが
文字通り、一目瞭然。
もう、こんな神をも恐れぬ、
生き抜くことへの貪欲さという強固な鎧を纏ったテナルディエに
エレガントなインバネスコートのバルジャンでは
一見、勝負にならなさそうです。
というより、別所バルジャンは、誰かや運命に勝とうとか、
勝負をしようとかは全然思ってないですけどね。
誰も傷つけず、静かにコゼットと共にあればそれで良かった。

コゼットと施しをしながらの登場を眺めて思ったのは
狭い世界に生きるコゼットに、多少なりとも他者との関わりを教え
慈善を教え、そして、これもまた彼の贖罪のひとつのあり様なのかな、と。
バルジャン自身は「聖者」になろうとか、
それに類する行ないをしようとか
意図的なものはまったくなかったと思うけれど。
そういえば、ファンティーヌの逮捕のあたりの意匠が、なにか、
マグダラのマリアに投石しようとるす人々から、彼女を救い出したイエスの
仕業に似ている(細かくは全く異なりますが、娼婦というだけで
貶められている女を救い出すという構図が)と思ったりもしました。

場面が前後しますが、ベガーズで、
アンジョルラスとマリウスが、ちょうど橋の下あたりで
二人並び、ぱっと照明が当たるのも、つくづくかっこ良いと再認識。
今まで殆ど、観てなかったですからね~そういう目で(~_~;)
楽はホント、この舞台に登場するみなに愛しさがこみ上げてきて
それまで見逃してきた多くの事が悔やまれてくる感じでした。

そして、ここでのジャベールの登場が、
またまた、崩壊指数マックス!!
バルジャンといいジャベールといい、
コートフェチ製造マシーンと化してますよねっ!!
(ほとんどの、レミ関係ブログ・観劇記で、コートについて
言及されてるのが論より証拠でございます。)
貴方が24時間二人っきりで小さな窓もないお部屋で
取り調べてくれるなら、速攻逮捕されますな私ですが、
窃盗も脱走もしてないので無理なのでした。

初見ころは、まったく理解出来なかった
ジャベールのこの執拗さ。何故そこまで追う?
そこまでバルジャンに拘る?
日々、事件や抱えている仕事はあるだろうに。。。
くらいにしか思っていなかったけれど
これが「恋」だとすると(に置き換えると)非常に分かりやすい。
幸二郎さんがブログに書かれた刷り込みで、ちょっと(私の)見方が
その方向に偏ってきてしまっているキライはありますが…

スターズ、星へのラブソングというか
バルジャンへのラブソングに聴こえてくるようになった今日この頃。
ちょっと前までは、まだ、バルジャンに損傷されてない
ジャベールの揺ぎ無い信念を歌っている、と感じていたのだけれど。
そして、それとは別に、つくづくこの歌詞は
ジャベール自身の行く末を暗示しているのだな~と思った。

♪つまづけば痛みという代償を誰でも払うのはこの世のきまりだ

まさしく、ジャベールはつまづき、
自分で燃やした炎の中へ堕ちていく。

でも、そんな事は後付の感想で、
この曲を聴いている間は、幸二郎さんの声に、姿態に釘付けで
幸福と高揚感となにかしら切実さで、いっぱいいっぱい。
「なんて素晴らしい歌声なんだろう!!」
と、とても陳腐な文言でしか表現できないのがもどかしいけれど
なんど聴いても、そのたびに、胸の中で
(エクスクラメーションマークと溜息が無限大付きで!!!)そう思う。
もっと余韻を楽しみたいのに、結構、拍手終わらなくても
塩田さん、次の曲の指揮を振り始めることも多かったのですが、
この楽については、前述のとおり、いつもより間を計って下ってました。

あ~今、これを打鍵しながら、ふと思ったけれど、
この岡ジャベのスターズで、私も炎の中に堕ちたのだね@梅芸。
(レミ煉獄←みな燃やされて喜んでいる人ばっかりなのだが。
…ってそれでいいのか。煉獄=カトリック教会の教義で、
天国と地獄の間にあり、死者の霊魂が天国に入る前に
火によって罪を浄化されると考えられていた場所、らしい。
私、地獄と同義語かと誤解してました~。)

自分たちは何かを変革出来ると理想主義に燃える学生たちの
甘さと誇らしさ。
知識階級であるがゆえに、実は、世界を、冷徹な現実を
ある意味俯瞰することの出来なかった「子供」たち。
彼らの時代から、なお、自由・平等・博愛は実現されていないけれど
ひとつの聖堂の礎を築いていった人々が、
その完成を見ることなく死んでいったように
いつか、美しく荘厳な姿を現す大聖堂の尖塔を夢見て、
小さな石を積み上げていく。
まさしくジャベールが言ったように
理想と戯れた「子供の遊び」なのかもしれない。
岡ジャベールだと、そんな子供の遊びで命を落とすことはないのだ、
という、ある種の警告と←他ジャベだと見放しているような感じ
アンジョルラスの死体と対峙した時に、そんな子供の遊び(のような事)に、
命を賭したことへの敬意(その彼らの行為の法的善悪はともかく)を示す。
この“法的善悪はともかく”、敬意というか弔意を表した時点で
バルジャンに命を助けられたことは、すでに、ジャベールの無意識の領域で
彼を“バルジャンの世界”に寄り添わせたのかも。
(また、岡ジャベ、“寄り添い”似合いそうだし。
ホント、別バルとの映りが良いわ!←自分、何かが違う…)

バルジャンを探す姿も、自身の使命が成し遂げられるか否か
という事のために、生きていて欲しいというより、
ほぼ、バルジャンの生死そのもの自体を憂慮している(ように見える)

また、場面が前後してしまいますが、
バリケードで、バルジャンに解放されるジャベールの動揺っぷりも
岡ジャベならでは。
たぶん、ここで落ちましたね、彼は。完全に。
何がなんだか良く分からないけれど心が動く―のが恋ですから(笑)
「殺せ今すぐ」ってナイフ掴んだ手離さないですよね。
好きな人に殺されるなら本望~
いや、好きな人を困らせたい~とか。(違うと思う)
綜馬ジャベだと、純粋に自尊心の問題って思えるのだが。

ジャベールに対して発砲したと偽の銃声を鳴らすバルジャン。
「スパイ」を処刑出来て良かった!と、真には喜んでいない学生たち。
結局、搾取や暴力に虐げられ殺されててきた民衆を救う(との理念の)ために
同じ暴力的な手段を使う現実に、
バリケードの内側で直面したやるせなさ感が伝わってくる。
片隅で、そのやるせない気分に同調し、同情するバルジャン。
疲れ果てた子供たちがみな静まり、
「彼を帰して」は、神とマリウスに集約して歌ってはいるけれど、
すでに、疲弊している学生たち皆を、それぞれの帰るべき場所へ
戻してあげたい、との願いが伝わるような…

この曲は別バルだけが歌い上げないんですよね。
舞台の中央も使わない。
ただ、ひたすら祭壇の前で祈るような雰囲気。
実際、この日は歌い終わった後、かなり長く祈ってました。

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